蔵書情報
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書誌情報
書名 |
日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか ちくま新書
|
著者名 |
竹内 整一/著
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出版者 |
筑摩書房
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出版年月 |
2009.1 |
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資料情報
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
所蔵館 |
資料番号 |
請求記号 |
配架場所 |
所蔵棚番号 |
資料種別 |
帯出区分 |
状態 |
付録 |
貸出
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1 |
厚別 | 8012693472 | 121/タ/ | 図書室 | 1 | 一般図書 | 一般貸出 | 在庫 | |
○ |
2 |
山の手 | 7012428020 | 121/タ/ | 新書 | 40 | 一般図書 | 一般貸出 | 在庫 | |
○ |
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書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
タイトルコード |
1008000115670 |
書誌種別 |
図書 |
書名 |
日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか ちくま新書 |
書名ヨミ |
ニホンジン ワ ナゼ サヨウナラ ト ワカレル ノカ |
著者名 |
竹内 整一/著
|
著者名ヨミ |
タケウチ セイイチ |
出版者 |
筑摩書房
|
出版年月 |
2009.1 |
ページ数 |
219p |
大きさ |
18cm |
分類記号 |
121.04
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分類記号 |
121.04
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ISBN |
4-480-06467-7 |
内容紹介 |
語源である接続詞「さらば(そうであるならば)」にまで遡り、また「そうならなければならないならば」という解釈もあわせて検証。別れ言葉「さようなら」にこめてきた日本人の別れの精神史を探究する。 |
著者紹介 |
1946年長野県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。同大学教授(大学院人文社会系研究科・文学部)。著書に「日本人は「やさしい」のか」「自己超越の思想」など。 |
件名 |
日本思想 |
言語区分 |
日本語 |
書評掲載紙 |
毎日新聞 |
(他の紹介)内容紹介 |
一般に世界の別れ言葉は、「神の身許によくあれかし」(Goodbye)か、「また会いましょう」(See you again)か、「お元気で」(Farewell)のどれかである。なぜ、日本人は「さようなら」と言って別れるのだろうか。語源である接続詞「さらば(そうであるならば)」にまで遡り、また「そうならなければならないならば」という解釈もあわせて検証しながら、別れ言葉「さようなら」にこめてきた日本人の別れの精神史を探究する。 |
(他の紹介)目次 |
第1章 「さらば」「さようなら」という言葉の歴史 第2章 死の臨床と死生観 第3章 日本人の死生観における「今日」の生と「明日」の死 第4章 「いまは」の思想 第5章 不可避としての「さようなら」―「そうならなければならないならば」 第6章 「さようなら」と「あきらめ」と「かなしみ」 第7章 出会いと別れの形而上学 第8章 「さようなら」としての死 |
(他の紹介)著者紹介 |
竹内 整一 1946年長野県生まれ。東京大学文学部倫理学科卒業、同大学院人文科学研究科博士課程中退。現在、東京大学教授(大学院人文社会系研究科・文学部)。専門は倫理学・日本思想史。日本人の精神の歴史を辿りなおしながら、それが現在に生きるわれわれに、どのように繋がっているのかを探求している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
内容細目表
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