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資料情報
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
所蔵館 |
資料番号 |
請求記号 |
配架場所 |
所蔵棚番号 |
資料種別 |
帯出区分 |
状態 |
付録 |
貸出
|
1 |
中央図書館 | 0180911299 | 319.1/ア/ | 1階文庫 | 91 | 一般図書 | 一般貸出 | 貸出中 | |
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書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
タイトルコード |
1008001647655 |
書誌種別 |
図書 |
書名 |
馬鹿八と人はいう 一外交官の回想 中公文庫 |
書名ヨミ |
バカハチ ト ヒト ワ イウ |
著者名 |
有田 八郎/著
|
著者名ヨミ |
アリタ ハチロウ |
出版者 |
中央公論新社
|
出版年月 |
2022.1 |
ページ数 |
365p |
大きさ |
16cm |
分類記号 |
319.1
|
分類記号 |
319.1
|
ISBN |
4-12-207163-6 |
内容紹介 |
広田、近衛、平沼、米内内閣で外相を務め、三島由紀夫「宴のあと」のモデルとして知られる外交官、有田八郎。満州事変から日米開戦、敗戦までの外交、二度の東京都知事選に挑んだ経緯などを回想した波瀾万丈の自伝。 |
件名 |
日本-対外関係 |
個人件名 |
有田 八郎 |
言語区分 |
日本語 |
書評掲載紙 |
産経新聞 |
(他の紹介)内容紹介 |
広田、近衛、平沼、米内内閣で四度、外相を務め、英米との軋轢を回避する立場から日独伊同盟に反対する。満洲事変、日華事変、日米開戦から敗戦までの外交を証言。戦後、革新系政治家として、再軍備に異議を唱え、二度の東京都知事選に挑んだ経緯を回想。三島由紀夫『宴のあと』のモデルとして知られる外交官の波瀾万丈の自伝。 |
(他の紹介)目次 |
第1 出生から少壮外交官時代 第2 満洲事変の勃発から日華事変へ 第3 叩かずに渡った土橋 第4 その前夜 第5 戦争に突入 第6 戦後片々 |
(他の紹介)著者紹介 |
有田 八郎 1884(明治17)年、佐渡に生まれ、東京帝国大学卒業後、1909(明治42)年外務省に入る。アジア局長、オーストリア公使、ベルギー大使などを経て36(昭和11)年、広田弘毅内閣の外相に就任し、日独防共協定を締結した。38(昭和13)年、第一次近衛文麿内閣に入り、平沼騏一郎内閣でも留任、日独の軍事的協定強化には反対した。40(昭和15)年1月に成立した米内光政内閣では“東亜新秩序”の建設を推進した。戦後、公職追放を受けるが、53年(昭和28)年、革新無所属候補として新潟一区で衆議院選挙で出馬し、当選。55(昭和30)年、東京都知事選挙の革新統一候補に推され、立候補するが、落選、59(昭和34)年、再び挑戦するも落選、これを機に政界から退いた。この間、料亭般若苑の女将、畔上輝井と再婚したが、これをモデルにした三島由紀夫の小説『宴のあと』がプライバシー侵害にあたるとして訴えを起こした。65年(昭和40)年没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
内容細目表
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