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資料情報
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
所蔵館 |
資料番号 |
請求記号 |
配架場所 |
所蔵棚番号 |
資料種別 |
帯出区分 |
状態 |
付録 |
貸出
|
1 |
中央図書館 | 0119893709 | 115/オ/ | 書庫2 | | 一般図書 | 一般貸出 | 在庫 | |
○ |
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書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
タイトルコード |
1008001006243 |
書誌種別 |
図書 |
書名 |
画像と知覚の哲学 現象学と分析哲学からの接近 |
書名ヨミ |
ガゾウ ト チカク ノ テツガク |
著者名 |
小熊 正久/編著
|
著者名ヨミ |
オグマ マサヒサ |
著者名 |
清塚 邦彦/編著 |
著者名ヨミ |
キヨズカ クニヒコ |
出版者 |
東信堂
|
出版年月 |
2015.11 |
ページ数 |
13,265p |
大きさ |
22cm |
分類記号 |
115
|
分類記号 |
115
|
ISBN |
4-7989-1326-1 |
内容紹介 |
現物とは異なる画像の中に、我々はなぜ「現物」を見ることができるのか。画像本来の虚構性、見ることと概念の総合が生む像意識など、画像が孕む今日的問題群をめぐり、絵画から様々な日常経験まで、多角的に分析・考察する。 |
件名 |
認識論、視覚 |
言語区分 |
日本語 |
(他の紹介)内容紹介 |
メディアの発達と相まって多種多様な「画像」が日常を覆い尽くすように広がり、今や我々は画像を通じて世界を見ているとさえ言えよう。だが現物とは異なる画像の中に、我々はなぜ「現物」を見ることができるのか―本書は、この画像本来の「虚構性」、見ることと概念の総合が生む「像意識」、知覚・感覚作用が持つ「志向性」等、画像が孕む今日的問題群をめぐり、絵画はじめ芸術作品から様々の日常経験まで、多角的に分析・考察した力作論集である。 |
(他の紹介)目次 |
第1部 画像とは何か(画像表象と中立性変様―フッサールにそくして 受動的経験としての像経験―フッサールから出発して 演劇としての『像』―像の発生的現象学の観点から) 第2部 絵画と芸術作品について(絵の中に見えるもの―見えるものと描かれたもの 絵画の知覚経験―メルロ=ポンティ『眼と精神』を手がかりにして 人間は「自画像」としての絵画に溢れた世界を生きる身体である―後期メルロ=ポンティ絵画論の位相 サルトルの「芸術作品とは非現実的存在である」という主張をどのように受け止めるべきか) 第3部 知覚について(カテゴリー的直観再訪―知覚的正当化の問題をめぐって 経験における概念のゆくえ 芸術鑑賞と知覚的カテゴライズ―ウォルトンの「芸術のカテゴリー」をめぐって アスペクトの転換において変化するもの―ウィトゲンシュタインの二つのアスペクトの分析を通じて 痛みの経験は志向的か 時間意識を介しての感覚と意味―フッサールの知覚論の動向) |
(他の紹介)著者紹介 |
小熊 正久 1951年、新潟県生まれ。東北大学大学院満期退学。博士(文学)。山形大学人文学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 清塚 邦彦 1961年、群馬県生まれ。東北大学大学院文学研究科博士課程満期退学。修士(文学)。山形大学人文学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
内容細目表
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