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資料情報
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
所蔵館 |
資料番号 |
請求記号 |
配架場所 |
所蔵棚番号 |
資料種別 |
帯出区分 |
状態 |
付録 |
貸出
|
1 |
中央図書館 | 0117809418 | 210.7/コ/ | 1階図書室 | 33B | 一般図書 | 一般貸出 | 在庫 | |
○ |
2 |
山の手 | 7012646035 | 210.7/コ/ | 図書室 | 01b | 一般図書 | 一般貸出 | 在庫 | |
○ |
3 |
中央区民 | 1113006801 | 210/コ/ | 図書室 | | 一般図書 | 一般貸出 | 在庫 | |
○ |
関連資料
この資料に関連する資料を 同じ著者 出版年 分類 件名 受賞などの切り口でご紹介します。
近衛 文麿 日中戦争(1937〜1945) 太平洋戦争(1941〜1945)
書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
タイトルコード |
1008000110948 |
書誌種別 |
図書 |
書名 |
大統領への証言 |
書名ヨミ |
ダイトウリョウ エノ ショウゲン |
著者名 |
近衛 文麿/著
|
著者名ヨミ |
コノエ フミマロ |
出版者 |
毎日ワンズ
|
出版年月 |
2008.12 |
ページ数 |
276p |
大きさ |
19cm |
分類記号 |
210.74
|
分類記号 |
210.74
|
ISBN |
4-901622-36-3 |
内容紹介 |
悲運の宰相・近衛文麿が、政治的局面において断片的に書き留めていたものを、自身が戦後にまとめて公にした「近衛手記」、および昭和15年1月と19年の「近衛日記」に注釈をつけて収録。付章、近衛メモも掲載。 |
著者紹介 |
明治24〜昭和20年。東京生まれ。京都帝国大学卒業。公爵。昭和12年に第一次近衛内閣、14年総辞職後も2度内閣を組織。戦後戦犯に指定され服毒自殺。 |
件名 |
日中戦争(1937〜1945)、太平洋戦争(1941〜1945) |
個人件名 |
近衛 文麿 |
言語区分 |
日本語 |
(他の紹介)内容紹介 |
「戦争前は軟弱と侮辱され、戦争中は和平分子だとののしられ、戦争が終れば戦犯だと指弾される。僕は運命の子だ。」手記「日米開戦の真実」。 |
(他の紹介)目次 |
第1章 手記(支那事変に就いて 盧溝橋事件 陸軍内部の抗争 トラウトマン工作 平沼内閣総辞職 阿部内閣成立 ほか) 第2章 日記(昭和十九年) 第3章 日記(昭和十五年一月) |
(他の紹介)著者紹介 |
近衛 文麿 公爵、内閣総理大臣。鎌倉時代以降、代々摂政・関白に任ぜられてきた五摂家の筆頭、近衛家の長男として明治24年、東京に生まれた。学習院中等科、第一高等学校を経て東京帝国大学に入学後、京都帝国大学に転入し、大正6年卒業。なお、在学中の大正5年、貴族院議員となっている。大正8年のパリ講和会議には西園寺全権の随員として渡欧、この時期に、「帝国主義を排し、正義・人道に基づく世界各国民の平等な生存権を確立すべき」との信条をゆるぎないものとした。その後、国内において、軍国主義の台頭を危惧し、議会政治・責任内閣の発展を唱えるなど精力的に活動、若き革新派のリーダーとして政界にその地歩を固めていった。昭和6年に貴族院副議長、昭和8年には議長に任ぜらせ、昭和12年6月、国民の熱烈な支持を受け第一次近衛内閣を組織した。しかし直後に日中戦争が勃発、事態の収拾に努めたが軍部を制御できず昭和14年に総辞職。その後も2度内閣を組織し、日中、日米間の平和的妥結を実現すべく尽力した。戦時中も反軍部の姿勢を貫き終戦工作に奔走したが、戦後まもなく戦犯に指定され、その頃に、「自分の政治の偽らざる告白」「余の政治的遺書」として「手記」をまとめた。昭和20年12月16日、服毒自殺。享年、54(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
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