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資料情報
各蔵書資料に関する詳細情報です。
| No. |
所蔵館 |
資料番号 |
請求記号 |
配架場所 |
所蔵棚番号 |
資料種別 |
帯出区分 |
状態 |
付録 |
貸出
|
| 1 |
東札幌 | 4012478659 | 121/ヒ/ | 図書室 | 3 | 一般図書 | 一般貸出 | 在庫 | |
○ |
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書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
| タイトルコード |
1006600307927 |
| 書誌種別 |
図書 |
| 書名 |
哲学者廣松渉の告白的回想録 |
| 書名ヨミ |
テツガクシャ ヒロマツ ワタル ノ コクハクテキ カイソウロク |
| 著者名 |
廣松 渉/著
|
| 著者名ヨミ |
ヒロマツ ワタル |
| 著者名 |
小林 敏明/編 |
| 著者名ヨミ |
コバヤシ トシアキ |
| 出版者 |
河出書房新社
|
| 出版年月 |
2006.3 |
| ページ数 |
221p |
| 大きさ |
20cm |
| 分類記号 |
121.6
|
| 分類記号 |
121.6
|
| ISBN |
4-309-24374-6 |
| 内容紹介 |
稀有な思想家はいかにして生み出されたのか。ただ一度だけ自ら語った生涯の軌跡。幼少期、そしてコミュニストとしての青春を経て、ニュー・レフトの理論家へ。初めて明かされる事実とともに、廣松渉の新たな姿が浮かび上がる。 |
| 著者紹介 |
1933〜94年。東京大学大学院博士課程単位取得退学。元東京大学教養学部教授。 |
| 個人件名 |
広松 渉 |
| 言語区分 |
日本語 |
| (他の紹介)内容紹介 |
「本書は考えようでは、妻とともに手さぐりで生き抜いた私の生活記録である」。失明した著者が本書の冒頭でこう書いていたように「邪馬台国はどこか」を探るため、妻・和子に古文書を読んでもらい、筆記してもらい、ともに研究に現地調査に赴いた。二人三脚の結晶が本書なのだ。第1回吉川英治文化賞受賞作。 |
| (他の紹介)目次 |
第1部 白い杖の視点(音表で解釈しなければ解けぬ記紀の謎 米栽培の二つの流れ 日の国と筑紫の国の出現 眼底にうつるふるさとの映像 帆柱の文化 妻が作った私の地図 黄金に魅せられた古代人たち 考古学への失望と期待 邪馬台国を捜すための基本条件 海道の国々) 付録 三国志魏書巻三〇烏丸鮮卑東夷伝倭人の条(通称、魏志倭人伝) |
| (他の紹介)著者紹介 |
宮崎 康平 1917年、長崎県生まれ。早稲田大学文学部卒業。文学の道を目指し東宝文芸課に入るが、兄の戦死により帰郷。島原鉄道代表取締役となる。30代前半で失明。失明後、慰留されるも島原鉄道の職を辞す。1957年島原鉄道の強い要請で常務取締役として復職。鉄道建設の際の土器出土に興味を示し、考古学を志す。1965年「まぼろしの邪馬台国」を「九州文学」に連載開始。1967年、同書で第1回吉川英治文化賞を、夫婦で受賞。1970年代の邪馬台国ブームを全国に巻き起こす。1980年逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
内容細目表
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