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書誌情報

書名

秀吉は「家康政権」を遺言していた 朝鮮出兵から関ケ原の合戦までの驚愕の真相    

著者名 高橋 陽介/著
出版者 河出書房新社
出版年月 2019.11


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No. 所蔵館 資料番号 請求記号 配架場所 所蔵棚番号 資料種別 帯出区分 状態 付録 貸出
1 はちけん7410329358210/タ/図書室一般図書一般貸出在庫  

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2019
文禄・慶長の役(1592〜1593 1597〜1598) 関ケ原の戦(1600)

書誌詳細

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タイトルコード 1008001423825
書誌種別 図書
書名 秀吉は「家康政権」を遺言していた 朝鮮出兵から関ケ原の合戦までの驚愕の真相    
書名ヨミ ヒデヨシ ワ イエヤス セイケン オ ユイゴン シテ イタ 
著者名 高橋 陽介/著
著者名ヨミ タカハシ ヨウスケ
出版者 河出書房新社
出版年月 2019.11
ページ数 223p
大きさ 19cm
分類記号 210.49
分類記号 210.49
ISBN 4-309-22787-0
内容紹介 朝鮮からの撤退は秀吉が生前から検討し、遺言では、家康を後継者に指名、家康と三成の対立もなかった…。秀吉の死去から関ケ原合戦にいたるまでの2年間の出来事を、あらゆる史料を精査し「事実」のみを抽出し解説する。
著者紹介 1969年静岡県生まれ。歴史研究者。東海古城研究会・勝永座談会・佐賀戦国研究会・織豊研究会に所属。著書に「一次史料にみる関ケ原の戦い」がある。
件名 文禄・慶長の役(1592〜1593 1597〜1598)、関ケ原の戦(1600)
言語区分 日本語

(他の紹介)内容紹介 「慶長の役の最中、秀吉が病死したため日本は朝鮮から撤退。その後、徳川家康と石田三成の対立が深まり、関ヶ原の合戦がおこった」…学校で習った歴史は本当なのか?じつは、朝鮮からの撤退は秀吉が生前から検討し、遺言では、家康を後継者に指名、家康と三成の対立もなかった。であるなら、関ヶ原の合戦の対立の真の構図とは?目からウロコの歴史の真相が浮かび上がる!
(他の紹介)目次 「朝鮮出兵」で露呈した小西行長と加藤清正の諍い のちの関ヶ原へと続く、対立構造の萌芽を探る―第一部 天正二〇年四月〜慶長三年一月(秀吉による朝鮮出兵がはじまる
文禄・慶長の役は、明との戦争だった ほか)
戦争の最中、「家康政権」を遺言して逝った秀吉 最期まで精力的に指示を出し続けた秀吉の構想とは―第二部 慶長三年三月〜八月(豊臣秀吉は認知症や錯乱状態になったのか
豊臣秀吉は、なぜ徳川家康をたずねたのか ほか)
「朝鮮退き口」を指揮し戦勝を演出した家康 秀吉の没後、家康はいかに権力基盤を築いたか―第三部 慶長三年九月〜四年一月(秀吉が遺言した政権運営のガイドライン
最初は合議で出発した家康体制 ほか)
難航する「日明和談」と関ヶ原への道 内憂外患の危機を、家康はいかに脱しようとしたか―第四部 慶長四年二月〜一五年(捕虜の姜沆が残した詩とは
姜沆は明の捕虜とも会っていた ほか)
(他の紹介)著者紹介 高橋 陽介
 歴史研究者。1969年、静岡県浜松市生まれ。東海古城研究会・勝永座談会・佐賀戦国研究会・織豊期研究会に所属。関ヶ原の合戦の研究で最先端に位置する新進気鋭の研究者(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


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