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書誌情報
| 書名 |
論破という病 「分断の時代」の日本人の使命 中公新書ラクレ
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| 著者名 |
倉本 圭造/著
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| 出版者 |
中央公論新社
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| 出版年月 |
2025.2 |
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資料情報
各蔵書資料に関する詳細情報です。
| No. |
所蔵館 |
資料番号 |
請求記号 |
配架場所 |
所蔵棚番号 |
資料種別 |
帯出区分 |
状態 |
付録 |
貸出
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| 1 |
清田 | 5514057123 | 304/ク/ | 新書 | 20 | 一般図書 | 一般貸出 | 在庫 | |
○ |
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Heidegger Martin 技術とは何だろうか
書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
| タイトルコード |
1008001918171 |
| 書誌種別 |
図書 |
| 書名 |
論破という病 「分断の時代」の日本人の使命 中公新書ラクレ |
| 書名ヨミ |
ロンパ ト イウ ヤマイ |
| 著者名 |
倉本 圭造/著
|
| 著者名ヨミ |
クラモト ケイゾウ |
| 出版者 |
中央公論新社
|
| 出版年月 |
2025.2 |
| ページ数 |
318p |
| 大きさ |
18cm |
| 分類記号 |
304
|
| 分類記号 |
304
|
| ISBN |
4-12-150834-8 |
| 内容紹介 |
自分と異なる意見を持つ相手を「敵」と認定し、罵りあうだけでは何も解決しない。立場を超えて協力しあう視点を共有する「メタ正義感覚」の必要性を説き、分断の時代を乗り越える日本ならではの方策を示す。 |
| 著者紹介 |
神戸市生まれ。京都大学経済学部卒業。マッキンゼー、船井総研を経て独立。経営コンサルタント、思想家。著書に「日本人のための議論と対話の教科書」など。 |
| 言語区分 |
日本語 |
| 書評掲載紙 |
中日新聞・東京新聞 |
| (他の紹介)内容紹介 |
一九二七年の『存在と時間』という歴史的名著によって二十世紀の哲学・思想における名声を確たるものにしたハイデガーの後期重要作『技術とは何だろうか』は、まさに今日こそ読むに値するものだ。元素を「挑発」して地上に虚無化を現出させる二〇世紀の人類史的出来事を踏まえたハイデガーの技術論は、本書のタイトル通り、核時代のテクノロジー論の始まりの位置に立つとともに、現代、そして未来にまで届く恐るべき生命力を持っている。本書では、『技術とは何だろうか』を中心に据えて、『存在と時間』はもちろん、そのほかのハイデガーの講演、さらには、同時代の同伴者であったアーレントからアリストテレス、プラトンなど古代ギリシア哲学まで幅広く目配せをしながら現代技術の根本に潜む光と影を考えていく。そして終章において、3・11以後の技術論の展望―何百年何千年も隔たった人びとどうしの相互協働の余地、隔世代倫理の可能性―を試みる。 |
| (他の紹介)目次 |
序章 ナチズム問題とテクノロジー論 第1章 ソフィア・フロネーシス・テクネー―もしくは哲学・政治・技術 第2章 物と世界―「物」講演 第3章 ハイデガーの建築論―「建てること、住むこと、考えること」講演 第4章 テクノロジーを哲学する―「技術とは何だろうか」講演(1) 第5章 救いとなるものとは何か―「技術とは何だろうか」講演(2) 第6章 作ること、労わること、保つこと―ポイエーシスの多義性 終章 隔世代倫理へ |
| (他の紹介)著者紹介 |
森 一郎 1962年、埼玉県生まれ。東京大学文学部卒業、同大学大学院人文科学研究科博士課程中退。東京女子大学文理学部教授などを経て、東北大学大学院情報科学研究科教授。博士(文学)。専門は、近現代哲学史(ニーチェ、ハイデガー、アーレントなど)、現代における哲学の可能性(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
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