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資料情報
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
所蔵館 |
資料番号 |
請求記号 |
配架場所 |
所蔵棚番号 |
資料種別 |
帯出区分 |
状態 |
付録 |
貸出
|
1 |
太平百合原 | 2410151126 | 786/ボ/ | 図書室 | | 一般図書 | 一般貸出 | 在庫 | |
○ |
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書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
タイトルコード |
1006300026666 |
書誌種別 |
図書 |
書名 |
わが生涯の山々 |
書名ヨミ |
ワガ ショウガイ ノ ヤマヤマ |
著者名 |
ボナッティ/[著]
|
著者名ヨミ |
ボナッティ |
著者名 |
飯田 年穂/共訳 |
著者名ヨミ |
イイダ トシホ |
著者名 |
近藤 等/共訳 |
著者名ヨミ |
コンドウ ヒトシ |
出版者 |
山と渓谷社
|
出版年月 |
2003.4 |
ページ数 |
382p |
大きさ |
22cm |
分類記号 |
786.1
|
分類記号 |
786.1
|
ISBN |
4-635-34802-4 |
内容紹介 |
数々の不可能な登攀をなしとげて「極限のアルピニズム」という新時代をもたらし、最も傑出した人物と謳われたボナッティによる山へのオマージュ。「わが山々へ」「大いなる山の日々」を著者本人が一冊にまとめたものの翻訳。 |
著者紹介 |
1930年北イタリア生まれ。19歳から岩登りを始め、幾多の難ルートを登って戦後アルピニズムの発展に大きな足跡を刻む。現在は執筆、講演を中心に活動。 |
件名 |
登山 |
個人件名 |
Bonatti Walter |
言語区分 |
日本語 |
(他の紹介)内容紹介 |
数々の不可能な登攀をなしとげて“極限のアルピニズム”という新時代をもたらし、第2次大戦後の世代でもっとも傑出した人物と謳われたボナッティによる山へのオマージュ。 |
(他の紹介)目次 |
初陣(一九四八年) グラン・カピュサン東壁初登攀(一九五一年) ラヴァレドの北壁冬季登攀(一九五三年) K2遠征のイタリア隊とともに(一九五四年) ドリュの南西柱状岩稜初登攀(一九五五年) 実現しなかった時期尚早の計画(一九五五年) モン・ブランのクリスマス(一九五六年) セロ・トーレ、消え去った夢(一九五八年) ガッシャーブルム4峰の征服(一九五八年) ブルイヤールの赤い岩稜にて(一九五九年)〔ほか〕 |
(他の紹介)著者紹介 |
ボナッティ,ヴァルテル 1930年生まれ。1948年グリーニャの岩塔で初めて岩登り。1951年グラン・カピュサン東壁初登攀。1953年ラヴァレドの二つの北壁冬季登攀。1954年カラコルムのK2遠征。1955年ドリュ南西柱状岩稜単独登攀。1957年プトレイ大柱状岩稜北東側稜初登攀。1958年パタゴニアのセロ・トーレ試登。1958年ガッシャーブルム4峰初登頂。1959年ブルイヤールの赤い岩稜初登攀。1961年アンデスのロンドイ北峰初登頂。1961年フレネイ中央柱状岩稜の遭難事件。1962年プトレイ大柱状岩稜北壁初登攀。1963年グランド・ジョラス北壁冬季初登攀。1964年同ウィンパー・バットレス初登攀。1965年マッターホルン北壁冬季単独直登(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 飯田 年穂 1948年、東京生まれ。国際基督教大学教養学部卒、東京大学大学院博士課程単位取得(比較文化専攻)。現在、明治大学教授。フランスを中心とする西欧の近代文化・思想を研究。特に、自然と人間の関係が主要テーマ。91年以来毎シーズン、ヨーロッパ・アルプスを訪れ多くのルートを登攀。アルピニズムの視点から近代の自然観を問い直す(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 近藤 等 1921年、京都生まれ。早稲田大学仏文科卒。早稲田大学名誉教授。62年以来、G・レビュファをはじめ多くの仲間とヨーロッパ・アルプス一二〇余峰に登頂。71年、シャモニ名誉市民に推され、同年、フランス政府からレジョン・ドヌール勲章を受ける。97年、日本山岳会名誉会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
内容細目表
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