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資料情報
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
所蔵館 |
資料番号 |
請求記号 |
配架場所 |
所蔵棚番号 |
資料種別 |
帯出区分 |
状態 |
付録 |
貸出
|
1 |
中央図書館 | 0119246635 | 762.3/フ/ | 1階図書室 | 57B | 一般図書 | 一般貸出 | 貸出中 | |
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関連資料
この資料に関連する資料を 同じ著者 出版年 分類 件名 受賞などの切り口でご紹介します。
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ 野口 剛夫
Furtwängler Wilhelm Fischer‐Dieskau Dietrich
書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
タイトルコード |
1008000644661 |
書誌種別 |
図書 |
書名 |
フルトヴェングラーと私 ユピテルとの邂逅 |
書名ヨミ |
フルトヴェングラー ト ワタクシ |
著者名 |
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ/著
|
著者名ヨミ |
ディートリヒ フィッシャー ディースカウ |
著者名 |
野口 剛夫/訳 |
著者名ヨミ |
ノグチ タケオ |
出版者 |
河出書房新社
|
出版年月 |
2013.3 |
ページ数 |
157p |
大きさ |
20cm |
分類記号 |
762.34
|
分類記号 |
762.34
|
ISBN |
4-309-27390-7 |
内容紹介 |
青年時にフルトヴェングラーに出会い、ワーナーやブラームスの歌曲で歴史的な共演を果たしたフィッシャー=ディースカウ。歌手にして指揮者、音楽研究家である著者が、実体験から捉え得た巨匠の晩年の実像を綴る。 |
著者紹介 |
1925〜2012年。ベルリン生まれ。ドイツを代表するバリトン歌手。著書に「シューマンの歌曲をたどって」「ワーグナーとニーチェ」など。 |
個人件名 |
Furtwängler Wilhelm、Fischer‐Dieskau Dietrich |
言語区分 |
日本語 |
(他の紹介)内容紹介 |
2012年に逝去したドイツのオペラ、リート界の至宝フィッシャー=ディースカウは、まだ二十代の青年時、巨匠フルトヴェングラーの晩年1950年に、初めて出会うことになり、翌年ブラームスの「ドイツ・レクイエム」で歴史的な初共演を果たした。歌手にして指揮者、音楽研究家でもあった著者だからこそ、実体験から初めて捉え得た、指揮者・作曲家フルトヴェングラー晩年の実像。 |
(他の紹介)目次 |
初めて彼を聴いた時のことなど さすらう若人の歌 ドイツ・レクイエム ウィーン・フィルとの共演 取り逃がした『フィガロ』 トリスタン マーラーの録音セッション 問題 亡き子をしのぶ歌 マタイ受難曲 第二交響曲 第三交響曲 死の悲しみ 追憶 |
(他の紹介)著者紹介 |
フィッシャー=ディースカウ,ディートリヒ 1925年、ベルリン生まれ。ドイツを代表するバリトン歌手。1947年、ブラームス『ドイツ・レクイエム』でデビュー。48年、ベルリン市立歌劇場で、第一リリック・バリトンとして、フェレンツ・フリッチャイ指揮のヴェルディ『ドン・カルロ』でオペラ・デビュー。51年、ザルツブルク音楽祭に、フルトヴェングラーとの共演でマーラーの『さすらう若人の歌』でデビュー。54年からはバイロイト音楽祭にも出演した。51年には、ジェラルド・ムーアの伴奏で、初めて歌曲をレコーディング。以後、シューベルトを中心にドイツ・リートの名曲の数々を録音、カーネギーホールには64年にデビューした。20世紀音楽も積極的に歌うとともに、バッハなどの宗教曲もレパートリーとした。70年代からは指揮者としての活動も始め、晩年は後進の育成に貢献した。2012年逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 野口 剛夫 1964年、東京都生まれ。中央大学大学院(哲学)、桐朋学園大学研究科(音楽学)を修了。作曲理論を別宮貞雄氏に師事。現在、東京フルトヴェングラー研究会代表、ジャパン・エレクトロニック・オーケストラ音楽監督。研究、翻訳、講演、指揮、作編曲など多方面で活動(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
内容細目表
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