蔵書情報
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書誌情報
書名 |
子供の哲学 産まれるものとしての身体 講談社選書メチエ
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著者名 |
檜垣 立哉/著
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出版者 |
講談社
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出版年月 |
2012.11 |
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資料情報
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
所蔵館 |
資料番号 |
請求記号 |
配架場所 |
所蔵棚番号 |
資料種別 |
帯出区分 |
状態 |
付録 |
貸出
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1 |
中央図書館 | 0119116655 | 114.2/ヒ/ | 書庫2 | | 一般図書 | 一般貸出 | 在庫 | |
○ |
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書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
タイトルコード |
1008000601160 |
書誌種別 |
図書 |
書名 |
子供の哲学 産まれるものとしての身体 講談社選書メチエ |
書名ヨミ |
コドモ ノ テツガク |
著者名 |
檜垣 立哉/著
|
著者名ヨミ |
ヒガキ タツヤ |
出版者 |
講談社
|
出版年月 |
2012.11 |
ページ数 |
219p |
大きさ |
19cm |
分類記号 |
114.2
|
分類記号 |
114.2
|
ISBN |
4-06-258541-5 |
内容紹介 |
子供とは何か、妊娠によって他者をはらむ、あるいは産むこととは何か。子供である「私」という地点からはじまり、西田幾多郎、レヴィナス、ドゥルーズらの思考のあらたな可能性を探る。 |
著者紹介 |
1964年埼玉県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程中途退学。大阪大学大学院人間科学研究科教授。博士(文学)。専攻は現代フランス哲学など。著書に「ヴィータ・テクニカ」など。 |
件名 |
人間論、生命倫理 |
言語区分 |
日本語 |
書評掲載紙 |
毎日新聞 |
(他の紹介)内容紹介 |
これまでの哲学が再三にわたって論じてきた「私」という問題。しかしそこには、大きな見落としがあったのではないか?産まれる、子をはらむ、産む、死んでいく、だけど誰かが残る。こうしたことを、それ自身として真正面からとらえる。そのための哲学が、ここからはじまる。 |
(他の紹介)目次 |
第1章 私と身体をめぐる伝統的議論 第2章 生命としての私へ 第3章 西田幾多郎の他者論と生殖論 第4章 レヴィナスの他者論と生殖論 第5章 私であることと「いのち」の遺伝 第6章 子供とは誰のことか―「自分の子供」概念の脱構築 |
(他の紹介)著者紹介 |
檜垣 立哉 1964年埼玉県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程中途退学。現在、大阪大学大学院人間科学研究科教授。博士(文学)。専攻は、現代フランス哲学・日本哲学・生命論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
内容細目表
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