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資料情報
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
所蔵館 |
資料番号 |
請求記号 |
配架場所 |
所蔵棚番号 |
資料種別 |
帯出区分 |
状態 |
付録 |
貸出
|
1 |
図書情報館 | 1310348048 | 707.7/バ/ | 2階図書室 | ART-309 | 一般図書 | 貸出禁止 | 在庫 | |
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関連資料
この資料に関連する資料を 同じ著者 出版年 分類 件名 受賞などの切り口でご紹介します。
エッカート・ノイマン 向井 周太郎 相沢 千加子 山下 仁
書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
タイトルコード |
1008001337779 |
書誌種別 |
図書 |
書名 |
バウハウスの人々 回想と告白 |
書名ヨミ |
バウハウス ノ ヒトビト |
著者名 |
エッカート・ノイマン/編
|
著者名ヨミ |
エッカート ノイマン |
著者名 |
向井 周太郎/訳 |
著者名ヨミ |
ムカイ シュウタロウ |
著者名 |
相沢 千加子/訳 |
著者名ヨミ |
アイサワ チカコ |
出版者 |
みすず書房
|
出版年月 |
2018.12 |
ページ数 |
369,7p 図版32p |
大きさ |
21cm |
分類記号 |
707.7
|
分類記号 |
707.7
|
ISBN |
4-622-08722-9 |
内容紹介 |
第一次大戦後、デザインによる社会の変革を夢見て誕生し、わずか14年間で活動を終えた伝説の造形学校「バウハウス(建築の家)」。この共同体に暮らした54人の生き生きとした証言・追想を収録する。 |
著者紹介 |
1933〜2006年。ケーニヒスベルク生まれ。ウルム造形大学の基礎課程を修了。グラフィックデザイナー、デザイン史家。マンハイム応用科学大学コミュニケーション・デザイン教授。 |
件名 |
バウハウス |
言語区分 |
日本語 |
(他の紹介)内容紹介 |
マイスター(親方)、ゲゼレ(職人)、レアリング(徒弟)、それぞれのバウハウス。第一次大戦後、デザインによる社会の変革を夢見て誕生し、わずか14年間で活動を終えたこの伝説の造形学校とは、いかなる共同体だったのか。54人の当事者たちの追想がまざまざとその実際を物語る、貴重なドキュメント。 |
(他の紹介)目次 |
バウハウス理念―新しい教育基盤のための闘争 ヴァイマール・バウハウスの重要性 あの頃のヴァイマール 一通の手紙から 私のヴァイマール短期滞在 ヴァイマール・バウハウスの思い出 バウハウスでのマスダスナン ヴァイマール州立バウハウスの理念と形態とその時代 いかにしてバウハウスへたどりついたか ヴァイマールの隣の家で〔ほか〕 |
(他の紹介)著者紹介 |
ノイマン,エッカート 1933年ケーニヒスベルク生まれ。グラフィックデザイナー、デザイン史家。マンハイム応用科学大学コミュニケーション・デザイン教授。1953年からベルリンの広告専門学校でデザインを学んだ後、1956‐57年にウルム造形大学の基礎課程を修了する。1957‐71年、フランクフルト・アム・マインのスイス・エア・ドイツ支局の広告責任者を務める。1965‐67年、ウルム造形大学でコミュニケーションの歴史を講じる。1973‐75年、ブラウンAGでコミュニケーション・デザイン部門の責任者を務め、1975‐85年には、ドイツ・デザイン協議会のデザイン促進部門の責任者を務める。2006年3月24日、フランクフルト・アム・マインにて死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 向井 周太郎 1932年東京都生まれ。デザイナー、デザイン教育者。武蔵野美術大学名誉教授。基礎デザイン学会会長。1955年、早稲田大学商学部卒業。同大学院在学中にJETROのデザイン留学制度でドイツ・ウルム造形大学の基礎課程(1956‐57年)を修了。帰国後、通産省産業工芸試験所意匠部研究生、豊口デザイン研究所所員(インダストリアル及びインテリア・デザインに従事)を経て、ウルム造形大学(1963‐64年)及びハノーファー大学(1964‐65年)のインダストリアル。デザイン研究所のフェロー。1967年、武蔵野美術大学に基礎デザイン学科を設立(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 相沢 千加子 山形県生まれ。立教大学大学院文学研究科(ドイツ文学専攻)博士課程単位取得退学。1992年から二年間、ドイツ学術交流会(DAAD)の奨学生として、ドイツ・フランクフルト大学、およびベルリン自由大学に留学。帰国後、帝京科学大学非常勤講師などを経て、貿易会社に勤務(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 山下 仁 1960年神奈川県生まれ。大阪大学大学院言語文化研究科教授。1983年、立教大学文学部卒業。同大学院文学研究科(ドイツ文学専攻)在学中にドイツ学術交流会(DAAD)の奨学生として二年間、ドイツ・デュースブルク大学文学部に留学。1990年に帰国後、1992年より大阪大学言語文化部専任講師を務め、2013年より現職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
内容細目表
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