蔵書情報
この資料の蔵書に関する統計情報です。現在の所蔵数 在庫数 予約数などを確認できます。
書誌情報
書名 |
日本の芸術論 内なる鑑賞者の視座
|
著者名 |
荒川 有史/著
|
出版者 |
三省堂
|
出版年月 |
1995.5 |
この資料に対する操作
電子書籍を読むを押すと 電子図書館に移動しこの資料の電子書籍を読むことができます。
資料情報
各蔵書資料に関する詳細情報です。
No. |
所蔵館 |
資料番号 |
請求記号 |
配架場所 |
所蔵棚番号 |
資料種別 |
帯出区分 |
状態 |
付録 |
貸出
|
1 |
清田 | 5512663252 | 910/ア/ | 書庫 | | 一般図書 | 一般貸出 | 在庫 | |
○ |
関連資料
この資料に関連する資料を 同じ著者 出版年 分類 件名 受賞などの切り口でご紹介します。
書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
タイトルコード |
1001000871987 |
書誌種別 |
図書 |
書名 |
日本の芸術論 内なる鑑賞者の視座 |
書名ヨミ |
ニホン ノ ゲイジュツロン |
著者名 |
荒川 有史/著
|
著者名ヨミ |
アラカワ ユウシ |
出版者 |
三省堂
|
出版年月 |
1995.5 |
ページ数 |
412p |
大きさ |
21cm |
分類記号 |
910.4
|
分類記号 |
910.4
|
ISBN |
4-385-35641-6 |
内容紹介 |
風姿花伝、申楽談儀、西鶴とその読者、竜之介にみる芭蕉像、さざなみ軍記…。さまざまな芸術・芸能の作品や人から、世代性・階級性・民族性を切り口にその普遍のひろがりや質のありようを追跡する。 |
著者紹介 |
1930年宮城県生まれ。法政大学日本文学科卒業。現在、国立音楽大学教授、文学教育研究者集団事務局長。著書に「文学教育論」「母国語ノート」「日本の芸術論」など。 |
件名 |
日本文学、芸術 |
言語区分 |
日本語 |
(他の紹介)内容紹介 |
ある「語り部」とのインタビューをつづける“わたし”は、彼が「被爆者になる」という語りで表現しようとする生きかたに関心を抱いた。すでに被爆者であるはずの彼は、なぜ「被爆者になる」と語るのだろうか。ロバート・リフトン、石田忠、米山リサらによる優れた先行研究に導かれ、長崎の被爆による極限的な体験をした人々の記憶をいかに後世に伝えるかに苦闘する三人の“語り部”への一〇年にわたるインタビューをとおして、“語りえない”心の痛みを抱えながらどのように日常を生きていくことができるのか、かれら被爆者の存在に限りなく迫る渾身のライフストーリー作品である。 |
(他の紹介)目次 |
序論 “わたし”という視座からアプローチ 第1章 “語りえないもの”と記憶の語り 第2章 「長崎」の記憶の地図 第3章 「被爆体験」身体的複製 第4章 被爆体験の言説化 第5章 「被爆者になる」ということ |
(他の紹介)著者紹介 |
高山 真 1979年生まれ。慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。博士(社会学)。現在、慶應義塾大学文学部非常勤講師、慶應義塾大学大学院社会学研究科訪問研究員。専攻は社会学、ライフストーリー研究(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
内容細目表
前のページへ