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資料情報
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No. |
所蔵館 |
資料番号 |
請求記号 |
配架場所 |
所蔵棚番号 |
資料種別 |
帯出区分 |
状態 |
付録 |
貸出
|
1 |
厚別 | 8012451723 | 370/カ/ | 図書室 | 6 | 一般図書 | 一般貸出 | 在庫 | |
○ |
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書誌詳細
この資料の書誌詳細情報です。
タイトルコード |
1006500208059 |
書誌種別 |
図書 |
書名 |
考えあう技術 教育と社会を哲学する ちくま新書 |
書名ヨミ |
カンガエアウ ギジュツ |
著者名 |
苅谷 剛彦/著
|
著者名ヨミ |
カリヤ タケヒコ |
著者名 |
西 研/著 |
著者名ヨミ |
ニシ ケン |
出版者 |
筑摩書房
|
出版年月 |
2005.3 |
ページ数 |
270p |
大きさ |
18cm |
分類記号 |
370.4
|
分類記号 |
370.4
|
ISBN |
4-480-06222-X |
件名 |
教育、学問、教育と社会 |
言語区分 |
日本語 |
書評掲載紙 |
中日新聞・東京新聞 |
(他の紹介)内容紹介 |
「ゆとり教育」は「学力低下」の事実によって追いやられ、「学びのすすめ」へと方針転換された。さて、では「学び」と「教え」との間に生じる関係性、つまり教師と生徒の間の知識伝達の共有は、どのように起こるのだろうか。本書では「わかる」の現象学的な試みを、教育社会学者と哲学者との間で徹底してつめていく。「いま、なぜ勉学をするのか?」という問いかけから、「私」よりも「公」を重んじようという風潮に疑問を投げかけつつ、個人の自由と社会的平等の両方が成り立ちうる地点をめざして、「ともに考え、わかりあう」みちすじを模索・考察する。 |
(他の紹介)目次 |
序章 教育と社会を哲学するために 第1章 今なぜ「学ぶことの意味」を問い直すのか(「学ぶことの意味」の変遷 個人のさまざまな自由と「学校へ行くこと」) 第2章 「自由な思考」と「知識の共有」は両立するだろうか(個人の自由と公共の利害について 知識とはどういうものか ほか) 第3章 考えあうこと、理解すること(「わかる」を掘りさげる 役割と責任) 第4章 「学ぶ意味」をどう再生するか |
(他の紹介)著者紹介 |
苅谷 剛彦 1955年東京生まれ。東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。ノースウエスタン大学大学院博士課程修了、Ph.D.(社会学)取得。東京大学大学院教育学研究科教授。専攻は教育社会学、比較社会学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 西 研 1957年鹿児島県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(社会哲学専攻)。京都精華大学人文学部社会メディア学科助教授。哲学の営みを「自己と世界の関係をとらえ直すための技術」として甦らせようと試みる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
内容細目表
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